雪を見たくて雪国に来ている。
雪を見ながら温泉に入ったり、更に標高二千メートルちょっとのところまでロープウェイに乗って雪を見ている。まだしばらくこの周辺にいる予定です。
茶碗について。
お茶から離れてた間に、練習用の抹茶茶碗をご飯用に転用していたのもあった。
長く使っている間に縁が欠けてきたので、金継ぎをしてもらったところ、何となく以前より良くなったかなと感じ、抹茶用に戻した。全く無名の茶碗だが使い続けていると愛着が湧いてくる。
このようなひび割れたり、疵のあるものの美しさについて、柳宗悦の茶道論集に書いていなかったかしら、と調べたところありました。疵の美ですね。完璧なものよりも欠けたところにこそ美はある、というような文章がある。まさに私の個人的感想ですが、思い入れも加味して疵の美を感じたのかもしれない。
さらにもう一つは出石焼の平茶碗。これもヒビが入っている。
このヒビを金継ぎで埋めるとまた素敵な茶碗になりそうな気になっている。
完璧な器も美しいけれど、そうでないものにこそ美の本質があるのそうだ。
美の究極は渋さだという。渋さは侘びに通じていくらしい。
再びお茶の入り口にたって、さらにいろいろ興味が湧いて来たのはうれしい。
茶碗についてちょっと戯言を書いてみた春の雪の日でした。
これは備前焼ですが、夫の友人が焼いたものでとても素敵ですので載せてみます。
この冬は雪は積もるほどは降らなかったけれど、今朝起きると雪が積もっていた。
春の雪です。昨日は強い風と雨が降ったり止んだり、晴れたり曇ったりの一日だった。
晴れた間に、とウオーキングに出たのは良いけれど、途中に急な雨と風。持っていたビニール傘をさしたけれど、反対に捲れ、慌てて風の方向に向けると元に戻った。
こんなことしながら歩けないわ、ということで家に戻ったのだった。
その後、雨はみぞれに変わった。そして今朝の雪。
そして先ほどテレビから緊急地震速報が流れた。関東方面で地震があったようだ。
やはり地震が一番怖い。突然起きるから怖い。
庭の雪です。でもこのブログを書いてる間にもほとんどとけていった。
春の雪おはようそしてさようなら (花)
ライアーレッスン日に楽譜「ル・ローヌ」をいただいた。朝ドラブギウギで音楽担当の服部克久氏作曲のすてきな曲です。これもまた難しい。
展覧会の絵、嵐の歌っている故郷、ル・ローヌ。日々練習続けます。継続は力です。
失われた三十年と言われてきた株価も、遅れに遅れて三十四年ぶりに市場高値を更新したようですね。気分的にも明るい兆し?
しかし私のお茶の失われた二十数年はなかなか取り返せないようです。
盆手前でも間違え、薄茶手前でも違え。
お免状はどこまでいただいていたのかしら、とちょっと気になり、調べてみたところ「習事十三か条」まででした。
一応お茶の基礎は学んでいたようですが、長い眠りから醒め、お道具に向かうと、ところどころ思い出し、ところどころ忘却。
ただお湯を沸かして茶を点てる、この一点にすがって続けていこうと思います。
更に難しい茶花の活け方。お茶の手前はきちんと順序があり、型があるけれど、利休の花は野にあるようにの言葉、これが一番難しいです。
庭に咲いていた桜草とホトケノザ。桜草は茶花ではないのかもしれないけれど、咲いていたので活けてみました。
野に咲くように・・・。思いつつもあぁ難しい。
ル・ローヌの楽譜を前に桜草 (花)
テーブルで盆手前の練習をした。
盆手前は子供の頃にやったきり。記憶はほとんど消えている。
動画で確認しつつ、表千家のグループサイトにアップしたところ、間違いを優しく指摘された。修正もアップした。
今、巷ではテーブル茶道が流行っているらしい。三千家とは別の組織?
講師の資格が一年以内?に取れるとかで人気のようだ。
既存の茶道ではとりあえずは十年の修練が必要?と記憶している。いまはどうか知らないけれど。
今は畳の部屋のない家が増えていること、椅子での生活が普通になり、正座のできない人たちが増えていること等々の生活様式の変化で、テーブル茶道の出現も時代の流れかな、とも思う。
従来の茶道でも盆手前は最初に習います。それを畳の部屋でなく、テーブルでお点前をすればテーブル茶道になるけれど。ただ勝手に流派の名を出して教えることができないだけ?
まぁ難しいことは横に置いてテーブルで盆点前をしてみた。
小鉄瓶があり、一人鍋用のコンロがあるのでそれを使った。新しい流派のテーブル茶道ではポットを使っているようだ。。
丸いお盆あったかなと探したところ、象彦のお盆があった。
お菓子は大好きなよもぎ大福です。
ただ、子供の頃の盆手前の記憶では、帛紗もお棗も茶筅もお盆の中に置いた記憶があるのだが、表千家の盆手前の動画ではでてきません。
その頃は別の流派だったのかしら?
盆手前よもぎ大福いただかむ (花)