丸山健二の夕庭を読み、続いて
同じ作家の安曇野の白い庭を読んだ。
中身は今まで住んでいた家を壊し、
新しい家を建て替え、同時に増えすぎた
樹木を切り倒し、庭を造り変える経過の
エッセイ集だった。
白い庭は、英国の有名な庭のホワイトガーデンの記事や
写真を見て、
これこそが何年費やしても、目指すに値する庭ではないかと
いたく感動した、とある。
ただ白い花ばかりでは死が思い浮かぶので、
白を基調にしながらも、他の色も程よく混ぜていく庭に
仕上げていくと書いている。
シシングハーストのホワイトガーデンは
色彩豊かな広大な庭の中の、一つの部屋ように
なっている。
ここを通り抜けるとき、ヴィタとバージニアウルフとの
不思議な愛に思いを寄せたり・・・。
思考的になるコーナーだったり・・・。
そういう庭です。
小説家の造る庭は、小説の中の登場人物の
ようには配置する木々や花は思い通りに育ってくれない、
そのいら立ちのようなものがこの本から感じられます。
大きく育った木々をぶった切り、
新しく植える薔薇の苗やその他いろいろ何十株と買っていく。
その苗群も年を経て、
作者を大きく裏切っていくかもしれないのです。
言葉で紡ぐ「安曇野の白い庭」は
安らぎではなく、キリキリと心をひっかくというか、
そういう小説家の庭造りの話です。
そして
完成した?いえ、まだ途上かもしれないけれど
「夕庭」の写真は素晴らしいです。
放埓に枝を伸ばして秋の庭(花)
日本の自称他称ガーデナーたちの憧れの庭は、
たぶんターシャ・テューダーの庭かもしれない。
NHKで放映されたターシャ・テュ―ダーの
四季の庭の影響が大きいと思う。
「喜びは創り出すもの」
わたしは思うとおりに生きてきました。
忍耐強く努力すれば、夢はたいてい叶います。
ガーデニングこそ忍耐よ。
ターシャの様々な言葉が紹介されています。
どの言葉も心に届きます。
絵本作家で、挿絵画家のターシャの造る庭には
夢があります。
それはきっと、絵本の中に登場する子供や
動物たちの姿が、幻影のように浮かんでくるせいかもしれません。
もしかしたら、ターシャの庭の中に、
それぞれの子供の心を遊ばせているのかもしれませんね。
ターシャの庭を映像で眺めていると夢見心地になります。
しかし、
自分の庭となると・・・。
一筋縄ではいきませんね。
昨日も草を抜きながら、木の植え変えもしました。
ここではなかったと・・・。
植物は主の思い通りには育ってくれません。
いつになったら満足する庭になるのかしら?と思いながら
今日も庭にいます。
冬日差しターシャの庭に憧れて(花)
名残の紅葉を探して、今日も歩く。
夕陽に染まり更に紅を濃くしている。
昨日に続き、今日も散り紅葉拾いをしながら歩く。
拾い集めた紅葉を🍁
今練習中の楽譜にちょっと載せてパチリ。
紅葉の音符のG線上のアリア。
G線上のアリア且つ散る紅葉かな (花)
Playing the aria on the G line
while the autumn leaves are falling.(hana)
花が少なくなり、地面が露わになっている。
冬の殺風景な風景も、花の時期の追い立てられるような
気分がなくり、
心穏やかに過ごせていると、いえば言えるけれど。
しかし
今は来春の庭のことを思い描きながら、
動かなければならないのだけれど。
年ごとに遅れがちになっている。
いつ植えたのか記憶にないけれど、ガーベラが咲いている。
そう、こう言うのが自称ガーデナーの
幸せなひとときなのだ。
記憶から消えていても、植えたところから忘れた頃に咲いてくれる。
兵庫県花の野路菊(ノジギク)は満開?
いえ、もう終わりに近いかも。
溢れ咲く野路菊たそかれ時の間に(花)
夕暮れの散歩を少し早めることにします。
四時半スタートです。
ウオーキングコースの公園は
春は桜、秋は紅葉がたくさん植えられているので、
四季を通じて楽しめます。
わざわざ遠くまで花見、紅葉狩の必要はないくらいです。
でも行っていますが・・・。
箕面の紅葉はいつ頃が見頃?
公園のアメリカ楓は半分以上散っていたが、
今が盛りの紅葉にも出会えました。
紅葉の名前はわからないが、夕陽に照らされて
美しい。
足元には散り紅葉。
真っ赤な紅葉数枚拾いました。
栞にします。